精神疾患を説明するとき、「脳の病気だから仕方ない」という言い方をよく耳にします。
確かに、こう捉えることで「甘えではない」と理解されやすくなり、患者本人も自責感から解放されやすくなるというメリットがあります。
しかし一方で、精神疾患を単純に「脳の病気」としてのみ説明してしまうことにはデメリットもあります。
1. 心理社会的要因が見えなくなる
精神疾患の発症や悪化には、環境や人間関係が大きく関わることがあります。たとえば、パワハラや過労、孤立といった状況は、病気を引き起こす重要な背景です。
それを「脳の病気だから」で片付けてしまうと、職場や家庭の問題に光が当たらず、環境改善が置き去りにされてしまいます。
2. 誰かの責任を問えなくなる
もし「上司のパワハラでうつ病になった」と主張したいとき、精神疾患を完全に「脳の病気」として説明する立場を取ってしまうと、その主張の根拠が弱まります。
「脳の病気なんだから上司は関係ない」という結論になりかねず、本人にとっては納得しにくい現実を突きつけられることになります。
3. 回復過程が現実とずれる
脳の病気であれば、治療薬で症状が改善したら「治った」とみなされ、すぐに職場復帰を求められるかもしれません。
しかし実際には、薬で症状が軽くなっても、環境がそのままなら再発のリスクは高いままです。「病気は治ったから戻りなさい」という圧力は、かえって本人を追い詰めてしまいます。
4. 自分の経験を語りにくくなる
精神疾患を脳の問題に限定して説明してしまうと、「つらい出来事があった」「人間関係が影響している」という体験を語りづらくなります。
病気の背景にある物語がないものとして扱われることは、本人にとって大きな孤独につながります。
「心理的な要因で脳にダメージを受けた」は本当か?
精神疾患を語るとき、「強いストレスで脳がダメージを受けた」と表現する人がいます。確かにストレスは脳の働きに影響を与えますが、この言い方は少し誤解を含んでいます。
1. ダメージではなく「変化」
ストレスを受けると、脳の神経伝達やホルモンの働きに変化が起こります。これは「壊れる」という意味でのダメージではなく、「一時的な機能の変化」です。環境が整ったり、休養や治療を受けたりすれば、多くの場合は回復します。
2. 正常な脳だからこそ起こる反応
不安で動悸がしたり、ストレスで眠れなくなったりするのは、脳が「正常に」反応している証拠でもあります。これは「壊れた脳の異常反応」ではなく、「生き延びるための適応反応」と言えます。
3. 脳の可塑性による変化
心理的要因によって脳が変わる場合、その背景には「脳の可塑性」があります。脳は経験や学習によって構造や機能を変化させる性質を持っています。
つまり、ストレスで脳に起こる変化も、可塑性による「適応の結果」である可能性が高いのです。
4. 自己努力で改善可能な変化
脳の可塑性は悪い方向に働くこともありますが、良い方向にも働きます。
運動、生活リズムの調整、趣味や学習、カウンセリングやリハビリといった取り組みは、脳の可塑性を利用して機能を回復させる手段です。
つまり、心理的要因で変わった脳は、本人の努力や環境の工夫によって再び変化させることが可能なのです。
5. 「本当に壊れた脳」との違い
脳卒中や外傷、認知症のように、細胞そのものが損傷してしまう病気もあります。それは可塑性の力だけでは回復が難しい場合が多く、「自己努力でどうにかできる変化」とは区別されます。
精神疾患は脳の病気でも、回復可能なものである
「心理的な要因で脳にダメージを受けた」という表現は分かりやすいですね。でもこの場合、実際には「脳の可塑性による変化」であることが多いのです。
そして脳の可塑性による変化は、一方向的に壊れるものではなく、本人の工夫や治療、環境の調整によって改善できる余地があります。
まとめ
病気を脳の問題にしたいけど、心理社会的に症状や病気が説明されることも望んでいるという人も多いように思います。
脳の病気というと、自己努力ではどうしょうもないというイメージになり、他人から理解されやすくなると期待する気持ちがあるのかと思います。
しかし、それもちょっと誤解があります。
脳の可塑性による変化なら、自己努力で変えられるのです。
脳の可塑性ではなく、実際に脳の中に病変があるとなれば、やはり心理的な問題を放置しても治療できるようになる可能性も高く、心理的、環境的な問題が置き去りになる事にもなり得ます。
精神疾患を「脳の病気」として捉えることは、社会的な偏見をやわらげるうえで役立つ側面があります。
しかし、それだけに依存してしまうと、環境や人間関係といった重要な要素が無視されることにもなり得ます。
大切なのは、「脳の問題」か「心理的な問題」かという二択ではなく、その両方が影響し合うという理解です。

